アラネア

2021年2月24日
「アラネア」

J.ワグナー 文
R.ブルックス 絵
大岡信 訳
岩波書店

絵本の古本屋を6年やっていると、
絵本に詳しいですね
とお客様から言われることが多い。
この作家さんは何年の生まれで、出身はどこで、他にこういう仕事もしていて、実は奥さんも絵本作で...とか
この印刷は石版画で、当時の印刷技術は...とか色々
きっと絵本に詳しいというのは一般的に、そういうことなのだろう。
けれども、例えばお店にふらりと来店されたカップルの会話
「絵本はぐりとぐらくらいしか覚えてないなぁ」
「ぐりとぐらに出て来るケーキわかる?ふわふわの大きい甘いやつ!あれが美味しそうで、食べたかったなぁ。」
こういうものをきいていると、
絵本に詳しいというのは実はそういうことだけではないのではないか、と思って来る。
作者の中川李枝子さんが北海道の出身であり、夫は中川宗弥さんであること。
それを知ることは勿論大切だが、この名作『ぐりとぐら』に出てくる「かすてら」がどれほど美味しそうなのかを知っていること。
口の中がよだれでいっぱいになるあの感覚を覚えていること。
それもまた、絵本に詳しいということなのではないか。
この絵本に描かれる「かすてら」の甘さを知っていること。
こういうことが本当は大切なのではないかと、個人的には考える。

私の場合は『アラネア』だ。
アラネアはラテン語で「蜘蛛」の意。
登場するのは小さな一匹の蜘蛛。
彼女はとても慎重な性格で、
「まずいっぽんをよこにわたし、それからわくのいとをはり、つづいてぐるぐるながいらせんをはりめぐらし、ついにみごとなあみになるまで。」
丁寧に巣をつくる。
そして人に見つかる前にすぐにこわしてしまう。
そこに蜘蛛がいること、誰にも知られない内に。
アラネアはある日嵐の匂いを嗅ぎとる。
小さな蜘蛛は嵐に晒され、雨にうたれ
家の中に逃げ込む。
しかしそこは暗い隅のない真っ白な空間で、アラネアには居心地が悪い。
蜘蛛は暗い物陰を好むのだ...。
虫嫌いの娘が、駐車場の塀の下に蜘蛛の巣を発見したのは、この絵本を読んだ日の散歩の途中だった。
そこにアラネアはいなかったが、彼女が残した壊れかけの巣に枯葉が引っかかっているのを見つけた娘は、今でもそのことを嬉しそうに話し、駐車場に行く度にアラネアの巣を探す。
私は『アラネア』という絵本に詳しい。
この絵本のどこを娘が喜んだかを知っている。
どんな顔でこの絵本を覗きこんでいたのかを知っている。
この絵本が、物語と現実をつなぐ力を持つことを知っている。
アラネアがとても慎重な性格の蜘蛛であることを知っている。
この絵本を読むと、蜘蛛にもそれぞれ性格があることに気づくことを、知っている。
この絵本を読んだときに心におきる、温度の変化を知っている。
きっと、そういうことも本当は
絵本に詳しいということなのだと思う。
このページであのこが笑った。
ここは感情を込めて読まないと怒った。
ここにはあの子が噛んだ歯型が残っている。
そういう、絵本に詳しい人たちが
たくさんたくさん増えて欲しいと思う。
あるクモのぼうけんを、モノクロの美しい絵で描いた『アラネア』を
今月はご紹介致しました。

Profile

冨樫 チト(とがし ちと)

冨樫 チト (とがし ちと)

本名である。フランス童話「みどりのゆび」のチト少年にちなんで両親から命名される。富士の裾野の大自然の中、植物画と読書と空想の幼少期を過ごす。
早稲田大学在学時よりプロダンサーとしての活動を開始。
舞台演出、振付け、インストラクター、バックダンサーなど、踊りに関わる全てに携わる傍ら、持ち前の遊び心で、空間演出、デザイナー、リゾートホテルのライブラリーの選書、壁画の製作、ライブペイントによる3Dトリックアートの製作など、無数のわらじを履く。
2015年2月、フランソワ・バチスト氏として、住まいのある吉祥寺に絵本児童書専門古書店、「MAIN TENT」をオープン。
氏の部屋をそのまま移動させた小さな絵本屋から、エンターテインメントを発信している。

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