
くんちゃんのはたけしごと
ドロシー・マリノ 作
まさきるりこ 訳
ペンギン社
よい絵本
というものがある。
絵本の専門店が
よい絵本とはこれだ!
と断定するのは
とても危ういことだと思う。
「じゃあ他の絵本は駄目なのか?
それぞれの絵本にはそれぞれのよさがあるじゃないか」
勿論その通り。
それを踏まえた上でやはり
よい絵本というものは存在する。
言葉にするのはとても難しくて、誤解を招きやすい。
誰かを傷つけることなく
誰かの作品を貶めることなく
ワインの味を表現するみたいに
書いてみたい。
*まず絵本は子どものものである。
「大人の絵本」「大人こそ読みたい絵本」のようなものはあるとしても
やはり絵本とは子どものものである。
お店にいてもよく
「これは大人向けの絵本ね」という言葉をよく耳にするが
それは大人の中にある子どもの部分
マトリョーシカの中のほう
そこに向かう絵本なのではないかと
個人的には思っている。
そう言えば、チェコには絵本作家という概念はないそうだ。
あるのはイラストレーター、絵描きという概念だけ。
相反する概念のようだが
絵本は子どものためのもの
と
絵本作家というカテゴリーはない
というのはどちらも同じ根っこのような気がしている。
大人が、子どものために、
もてる知識、経験、才能を総動員した創作物
『絵本』
*大切なものはやはり、「観察」だと思う。
・じっと子どもを観察する。
例えば韓国の絵本『よじはんよじはん』
『くんちゃんのはたけしごと』などのくんちゃんシリーズなどは
子どもという最高に面白いいきもの
その日常の中から生まれた作品だ。
・長い時間をかけ、動物を観察する。
中谷千代子さんの『かばくん』
ロジャンコフスキーの『野うさぎのフルー』は、長い時間をかけて動物たちを観察した中で、その動物たち自身の中きら生まれた作品だ。
・季節の移り変わりを注意深く観察する
ジョン・バーニンガム『はるなつあきふゆ』
ピーター・スピア『なつのくも』
シャーロット・ゾロトウ『のはらにおはながさきはじめたら』
とどまることなく、時に大きく、時に少しずつ変化し続ける自然
よい絵本の答えはほぼ、その中にある。
*子どもの何が面白いかって、凄まじいスピードで変化するから。
一年前とは全然違う
一月前とも全然違う
午前中とすら全然違う
下手すると一秒前とも違う
絵本はもともと彼らの中にある。
その宝物をちょいと外に出してあげて
本の形にしてあげる。
初めて鏡を見た時のように
絵本の中に自分たちを発見して
みんな夢中になる。
例えば我々ダンサーが音楽を聴くときは
一つのまとまった曲として聴くのと同時に
ドラム、ベース、ボーカルなどを全て分けて聴く。
その場で初めて聴いた曲にも即興で対応出来る秘密は、そこにある。
人が手と呼んで動かしている部位は我々は
肩甲骨、僧帽筋、肘、手首、みぞおちあたりまで分けたり繋げたりしながら動かしている。
料理人だってきっとカレーを食べても
牛肉とジャガイモと玉ねぎと、隠し味にリンゴと...
と分けて考えるに違いない。
宮崎駿さんの半径3メートルの話も同じ。
観察する。
時に望遠鏡を、時に虫眼鏡を
時にタイムマシンを使い
観察する。
イシュトバン・バンニャイの『zoom』や
かとうあじゅ『じっちょりんのあるくみち』のように。
答えはそこにある。
例えば娘のおもちゃ箱には
ひろってきた石がたくさん入っている。
きれいなまるいやつでなく
駐車場のコンクリートの破片。
それはときにスープの材料になり
ときにただ水面に放られるだけの石ころになる。
完成した玩具ではあまり遊ばなくなってきたこの頃
成長というものは面白いな
と観察している。
そしてふと最近気付いたのは
それと同時に
モノクロの絵本の世界に入れるようになってきたこと。
『もりのなか』や
『いたずらきかんしゃちゅうちゅう』など
ロングセラーにはモノクロの絵本が多いことは知られているけれど
やはり幼児期の絵本やエリックカールなどの影響で
絵本はカラフル!
色彩豊かな絵本がよい絵本!
という概念が強い気がする。
けれども
最近娘が読む絵本は
『くんちゃん』シリーズも
『アラネア』も
視覚的には色のない世界
ここが楽しめるようになるのと
既成の玩具ではないドングリや葉っぱや石ころで
想像力で遊べるようになってきたこと
ここに何らかの関係があるのではないか。
小さなからだの中で生まれる変化を
愛おしく思いながら
あれこれ考える。
よい絵本とはの答えは
この小さなからだの中につまっている。
この小さなからだを包む世界の中に散らばっている。
それを我々は、仏師運慶のように
丁寧に取り出したり
孫悟空の元気玉のように
少しずつ力を借りる。
そういうものなのではないかと
最近思う。
そして、正直に言えば
『くんちゃんのはたけしごと』を読めば
よい絵本とは何か
の全てが詰まっている。
2021年は、どんな絵本と出会えるのだろうか
楽しみにしながら
今年最後の絵本紹介を終えさせて頂きます。
ありがとうございました。
Profile

冨樫 チト (とがし ちと)
本名である。フランス童話「みどりのゆび」のチト少年にちなんで両親から命名される。富士の裾野の大自然の中、植物画と読書と空想の幼少期を過ごす。
早稲田大学在学時よりプロダンサーとしての活動を開始。
舞台演出、振付け、インストラクター、バックダンサーなど、踊りに関わる全てに携わる傍ら、持ち前の遊び心で、空間演出、デザイナー、リゾートホテルのライブラリーの選書、壁画の製作、ライブペイントによる3Dトリックアートの製作など、無数のわらじを履く。
2015年2月、フランソワ・バチスト氏として、住まいのある吉祥寺に絵本児童書専門古書店、「MAIN TENT」をオープン。
氏の部屋をそのまま移動させた小さな絵本屋から、エンターテインメントを発信している。