こいぬのうんち

2017年12月25日
「こいぬのうんち」

泣ける絵本というものが
世の中にはある
僕の父親は寝る前の絵本に
「チロヌップのきつね」を読むたび
目を真っ赤にして子ども部屋から出ていっていた
2人目を生んだ親御さんから絶大な人気を誇るのは瀧村有子さんの
「ちょっとだけ」
独占していた親の愛情
生まれてきた新しい赤ちゃん
じっと我慢するお姉ちゃんから出てくる
ちょっとだけ
が愛おしい名作だ
また世の中には
よし泣かせてやれ
という絵本も残念ながら存在するし
ベストセラーになっていたりもする
安易に交通事故で命を奪ったり
生んでくれてありがとうと誘導したり
生と死という最もデリケートなテーマを
感動の材料にするような絵本
日本児童文学の母
石井桃子さんはこの類の本を
「くすぐり」
と呼んでいた記憶がある
くすぐって笑わせる
つねって泣かせる
そういう手段ではない
子どもの心に丁寧に寄り添い
真に面白がらせてくれる本
つまる本を日々探す中で

一冊の本と出会った

「こいぬのうんち」
クォンジョンセン 文
チョンスンガク 絵
ピョンキジャ 訳
平凡社

先日の買取りで出会った本だ
正直タイトルと表紙の感じから
またこの感じか
うんちをテーマにすれば子どもが喜ぶと思って...
と第一印象はよくなかった
だが棚に並べる前には読まねばならない
それが僕の本屋のルールだ

表紙のこいぬ
ほかほかとここから出て来たのがそう
この物語の主人公
こいぬのうんちだ
この湯気が
周りの寒さを感じさせ
じわじわと効いてくる
この世に誕生した彼は
やって来た雀に
自分がうんちであること
そして汚い存在であることを知らされ
生まれた直後に絶望を知り
こえをはりあげて泣く
(この泣き姿が可愛いのだ。アニメ化された丸いフォルムや大きな目の可愛いさではなく、乳幼児の泣き姿のそれ。うまれたての無垢な姿が描かれていて、この時点でうんちに対する抵抗がスッと取り除かれる)
そのとなりには
つちくれが落ちている
つちくれ?
どうやら只の絵本ではなさそうな雰囲気が出てきた
つちくれは語る
自分はとんでもない過ちを犯したと
昨年の夏
自分に植わっていた唐辛子の赤ちゃんを枯らしてしまったのだと
そうか
畑の土には植わった野菜を
命を守る使命があるのか
どうやら本当にこれは
只の絵本ではない
(しかし絵が素晴らしい
美しさではないのだが何というか
景色の描写の中にその周りの空気
感情をも包んで描いている気がする)
やがてつちくれは
この色や手触りは間違いなくうちの畑のつちくれだと
無事農夫に拾われていなくなり
(オンリーワンのつちくれ、そうか農業というものはそういうものかと思う。
確かに絵本でも、この角の凹みは間違いなくうちのだ。という瞬間はある)
ひとりぼっちのうんちの上には雪が降り積もる
そしてときは過ぎ
春を迎える
雨に打たれるひとりぼっちのうんち
うつぶせのカラダに雨が降る
顔も何もかもびしょ濡れだ
ただただ傘もささず
無機物のように雨に打たれる
(そりゃうんちなんだから、と思うが、この時点ではもう完全に感情移入してしまっているのでもう、トレンディ俳優が雨の中で佇んでいるのとなんら変わりはないのだ)
視点が変わって遠くから見ると更にひとりぼっち
日暮れの道
そびえる石垣
雨に打たれるうんち
どん底だ

だがそこで
うんちはある存在と出会う
目の前に
冬の間に生えてきたたんぽぽ
やがて星のように綺麗な花を咲かせる美しいたんぽぽ
そこからがクライマックス
気づいたら
カラダの中の小さな無数の僕たちが
総立ちで拍手をしている
泣いているのもいる
満足気に頷いているのもいる
結末は是非皆さまに直に見て頂きたい
(満足頂けなければうちで買取ります!)

絵本はやはり面白い
これは韓国の絵本で
風景や途中に出てくる農夫のいでたちなどから
違う国の文化を感じられる
だが何より
ニュースや週刊誌の見出しで見る韓国という文字と違う
韓国のひとの物の考え方
感じ方
生きている人の心
こういう心を持った方々なのだ
ということに少し触れられる
素敵な体験だった

泣ける絵本
ベストセラーになったお涙頂戴のあんな感じではなく
からだの奥に小さな灯りがともる
2017年最後にして
最高の一冊
フランソワ・バチスト氏がご紹介いたしました

自然派スパークリングワイン!?

2017年12月21日
自然派スパークリングワイン!?

自然派ワインの生産者の中にも発泡性のワインを造っている生産者も多く楽しみが広がる!「メトード・アンセストラル」(アンセストラル方式)と呼ばれる方式で造られることが圧倒的に多い。別名「古代方式」や「田舎方式」、「ペティアン・ナチュレル」とも呼ばれる。自然派ワイン愛好家の方たちはペティアン・ナチュレルを略して「ペット・ナット」と呼ぶことも。
造り方は発酵途中の葡萄果汁をそのまま瓶詰めしてしまうというやり方。発酵途中というのは糖分を酵母が食べてアルコールと炭酸ガスに変えるのでガスが発生している。それをそのまま瓶に閉じ込めてしまうというシンプルな方法。こうすることで炭酸ガスがワインを酸化から守る事もできるので酸化防止剤を入れなくてもいいという利点もある。だから発泡性のワインでなくてもこのガスを少量残しておくというワインも多く見かける。通常のスティルワインにガスが残っていてもわざと残している場合が自然派ワインの場合は多いのでビックリしないでくださいね。

ペティアン・ナチュレルは通常のシャンパーニュやスパークリングワインよりもガス圧が優しい場合がおおく、アルコール度のやさしいものやほのかな甘みのあるようなものまでバリエーションも多く楽しい!

但し瓶詰め直後と瓶詰めから時間が経っているものでは同じペット・ナットでも味が変わることがある。瓶詰め直後は糖分が少し残っていて、その糖分がボトルのなかで成長して段々と辛口になって行くことも。なんだかワインが生きているのを実感できるようでコレも楽しみのひとつ!

価格も安いもので2000円台〜4000円台のものが多く味わいと価格のバランスがとっても良いのでオススメ!シャンパーニュのガスが強いのが苦手という人にも飲み易いと思うのでカジュアルなパーティーにはもってこい!これからの季節是非飲んでみてください!

ちなみにシャンパーニュの造り方も軽く説明しておきましょう。
「メトード・トラディショナル」などと呼ばれ、「シャンパーニュ方式」、「伝統方式」などとも呼ばれる。造り方は、スティルワイン(通常の泡なしワイン)を瓶に詰めその中に酵母と糖分を添加する。こうすることで瓶の中で二次発酵がはじまり炭酸ガスが発生する。この方法の場合酵母の死骸(いわゆる澱)が瓶の中に残ってしまうのでシャンパーニュ製法の場合はこれを後に取り除く作業をしなくてはならない。けっこう手間のかかる方法なので価格も高くなるのも納得。

シャンパーニュ製法の他に「シャルマ方式」というのはシャンパーニュ製法では二次発酵を瓶の中でやるのに対し大きなタンクの中で二次発酵をする方式もある。この方がコストが下げられるというメリットがあるがもっとコストを下げたい場合はワインに炭酸ガスを機械で注入するという方法もある。激安のスパークリングワインなどに採用される造り方だ。別名「コカコーラ方式」などとも呼ばれたりする。

現在手に入りやすいペティアンをご紹介!





●タケダ・ワイナリー / サンスフル デラウェア

BioWine_sub1 無添加・無濾過
山形県産 完熟デラウェア種100%使用。無濾過の為オリの量が多め。そこがまた美味しさのひとつ!


https://item.rakuten.co.jp/shinkawa/1101222/#1101222



●ドメーヌ・ナカジマ / ペティアン・ナチュール・ロゼ

BioWine_sub2 長野県東御市の巨峰で造るペティアン。
巨峰のフルーティーな香りながら辛口。鍋や中華や焼鳥にもピッタリ!


https://item.rakuten.co.jp/shinkawa/10000770/#10000770



●ジミオ / モワルー・ド・ミュスカ ペティアン

BioWine_sub3 見つけたら買うべしの生産者によるペティアン。
こちらは甘口に仕上げている。何とも言えない自然な甘さで細胞に染渡る感覚に!


https://item.rakuten.co.jp/shinkawa/10000793/#10000793

お米は生きている

2017年12月15日
お米は生きている

お米○○といった肩書のある人よりお米のことが詳しくなれる本の紹介です。
漢字にフリガナが符ってあるので小学生以上であればだれでも手軽に読むことができます。

この本のタイトル「お米は生きている」とは一体どういうことでしょうか。
このウェブマガジンのタイトルにもなっている「お米と暮らし」も同じニュアンスでとらえていただけると光栄なのですが、お米は美味しいとか美味しくないとかそんな単純な嗜好品ではありません。日本人の歴史と文化の基盤を築いてきた大切な産物です。
日本の稲作は縄文時代すでに行われていて、岡山県で発見された土器の中からプラント・オパール(稲の細胞の化石)が実に3500年前のもの、4500年前のものと発見されているようです。

西暦が始まるはるか昔より日本人の食生活を支えてきたお米、それは食料の概念ではなく日用品や環境保全とのつながりを持ち、もみ、稲藁、糠は廃棄する場所がなく様々な形へ変化し今でも生活の中に根付いています。協調性や相手を思いやる心のように日本人特有のコモンセンス(共通感覚)も稲作農業から育まれた国民性と言われています。世界で起きている紛争や宗教問題がいかに日本人の感覚とかけ離れているか理解できると思います。

そこでタイムリーな話題から、お米が深くかかわっている意外な一例を紹介させていただきます。それは"すもう"と"お米"のつながりです。

すもうは弥生時代の昔から豊作を祈って神にささげた祀りとされています。奈良時代に天皇の前で試合をするようになり今に至っているそうです。その舞台となる土俵ですが、土俵は米俵に土を詰めて作り、その中にはお米を埋めます。土俵の丸は天を表し、外の四角は地を表す。その中に力士が入り天と地と人が一体になるという神聖な儀式の要素も含まれているそうです。お気付きになられたと思いますが土俵の俵は一俵二俵とお米の単位を表す漢字が使われています。(一俵=60㎏)

そう考えると、すもうが単なるスポーツではなく日本の長い歴史から生まれた伝統文化という解釈が正しいのだと思います、行司の軍配も昔は天下泰平や五穀豊穣と書かれていたそうですから、力士は勝負の世界とは言え謙虚さや尊敬の念などお互い(万物)を尊重しあう日本人の精神性を兼ね備えるのだと感じています。

まだまだ私たちの生活に根付いている「おこめ文化」。日本の四季や田園風景がいかに「お米」と深くつながっているかを少しでも知っていただければ幸いです。