
自然派ワインの造り手 「ボールナール」
遅咲きデビューだが実力はあの巨匠も認める!!
フランス東部、スイスとの国境近くのジュラ地方・アルボワの街を南に2kmほど下ると、標高400m以上の高原に囲まれた小さな村ピュピランがある。ピュピラン村の中心には、自然派ワイン好きには神に近い存在のピエール・オヴェルノワのドメーヌがある。彼のドメーヌから200mと離れていない場所にボールナールの蔵はある。
現当主のフィリップ・ボールナールは、ピュピラン村で父の代から続く葡萄栽培農家の家系で育った。高校を卒業し、1年の軍隊経験を経た後すぐに3haの畑を手に入れ、同時期
1975年、ピュピランのワイン農協に就職する。
ワイン農協では醸造責任者を担当し、農協で働きながら少しずつ自身の畑面積を増やし、1987年には9haの畑を持つようになった。
畑仕事が過度に忙しくなったため、1988
年にワイン農協の醸造責任者を辞め、ブドウ農家一本に専念する。この頃から、ブドウを農協に売る一方で、毎年家庭消費用に自らのブドウで少量のワインをつくっていた。
2000年に彼の父親が亡くなり、さらに3.5haの父親の畑を引継ぎ、計12.5haの面積をつにいたる。2005年、ボーヌの醸造学校でワインを学んでいた彼の息子が家に戻ってくるのを機にドメーヌ立ち上げを決意する。
この時フィリップは50歳。遅咲きデビューのヴィニョロン(葡萄栽培兼醸造農家)だ。
だが、遅咲きと言っても、ヴィニョロンとしてのキャリアはもうベテランの域。彼の父の代から続くブドウ栽培農家の家庭で育ち、彼が19歳の時にはすでに3haの自分の畑を所有し、一からブドウ栽培を始めている。一方でピュピランのワイン農協で長きに渡って醸造の責任者を担当するなど、根っからのヴィニョロンだ。
そんな彼が、なぜ50歳になって自らのドメーヌを立ち上げようと思ったのか?
彼曰く、彼には一人息子がいて、その息子はボーヌで醸造学を学び、その後オーストラリア、カリフォルニアでワインづくりを学んだ、いわばボールナール家のサラブレット的存在だった。フィリップには「いつか息子と一緒にドメーヌを立ち上げたい!」という長年の夢があり、その夢の実現までドメーヌ立ち上げの構想を温めていたそうだ。
そして、ついに2005年!カリフォルニアから戻ってきた息子のためにと、ドメーヌ・ボールナールを立ち上げたのである。...が、しかし、息子は始めて3ヶ月もしないうちに家を出て行った。理由は、ワインづくりよりもワインネゴシアン(ワイン流通業)の仕事に興味を覚えたとのことだった。ということで一人で蔵をワイン造りをすることになってしまった。しかし、このドメーヌ立ち上げを誰よりも喜んでいたのが、あの自然派ワインの巨匠ピエール・オヴェルノワだった。フィリップとピエール・オヴェルノワは、同じ村に住んでいることもあって古くから交友関係にあった。フィリップが1998年にワイン農協の醸造責任者を辞めてブドウ栽培農家一本で生計を立てていた時も、ピエール・オヴェルノワから「ドメーヌを立ち上げる気はないのか?」と何度も誘いを受けていた。彼は、昔からフィリップのつくる家庭消費用ワイン(今のスタイル)が大のお気に入りで、そのワインを飲む度に「このままブドウ栽培農家で終わるのはもったいない!」とアドバイスしていたそうだ。ピエール・オヴェルノワを「ジュラの偉大なワイン生産者」と敬し、ゼロSO2ワインなど、自らのワインをオヴェルノワの理念に近づけるよう果敢にチャレンジし続けるフィリップ・ボールナール。
ワインはピュアで透明感がありいつまででも飲み続けられそうな優しさに満ちている。
ワイン
・アルボワ・ピュピラン プールサール・ポワンバール2013
手で丁寧に除梗しタンクに葡萄をいれたまま放置。発酵前に予め穴の開いた中蓋をタンク内一杯にしたブドウの上に落として固定し、その上にさらに蓋をして密閉する2重構造のシステムで、果房が常にジュースに浸かった状態で2ヶ月マセラシオンをしている。
SO2無添加、ノンフィルター。