ピッピ南の島へ

2018年8月28日
「ピッピ南の島へ」

「ピッピ南の島へ」
リンドグレーン 作
大塚勇三 訳

小学生の頃の友だち
中学生で聴いた音楽
帰り道に買った駄菓子
友だちも音楽も駄菓子も
あの感覚はあの時にしか味わえない
若い時に旅をしなければ
年老いて語る物語がない
とは誰の言葉だったか
その年齢でしか出会えない本がある
本のとびらからしか
行けない冒険がある
こちらは MAIN TENT
吉祥寺の絵本の古本屋である

お店を始めようと思う前に
我が家にどれくらいの絵本や児童書があったか
ふと思い出してみる
高校で家を出た僕が初めて手に入れたのは多分
「長くつしたのピッピ」
それからほどなくして「だれも知らない小さな国」を手に入れる
買ったからといって
再び読んだわけではない
ある時は本棚に
またある時は出窓のところに
景色の一部として並んでいた
きっと手元に置きたかったのだろうが
ただのオブジェかと言われればそういう訳でもない
家に本がある意味
うまい言葉は未だに見つからないが
僕が仮に「記憶の更新」と呼んでいる考えがある

お店をやっているとよく
こんな光景に出会う

もう自分の中に絵本の記憶など全く無くなっていると思っている大人が
ほぉー絵本の古本屋か
と物珍しげに店内に入ってくる
しばらく棚や内装を眺めている内に
あれ?何だっけな
なんかほらあの変な名前の絵本...
家にあったぞ
となり
やがて一冊の絵本を発見する
「めっきらもっきらどおんどん」
そうこれこれとページをめくり出すともう止まらない
ここのページが怖かったんだ
そうこの食べ物のページが美味しそうでね
それと同時に当時の記憶も湧き出して来る
子ども部屋の本棚
夕食の仕度の匂い
読んでもらっていたときのお母さんの体温
お父さんの読み方の迫力に泣いたこと
お風呂上がりの濡れた手でページをめくって叱られたこと
絵本とその周りにあった記憶が一瞬にして解凍され溢れ出す
ふと我に返りもう一度本棚を眺めると
そこにあるのはもう先ほどののっぺりとした背表紙の羅列ではない
あそこにもここにも
自分の家にあった絵本が次々に見つかるのだ

大袈裟ではなく週に数回は見かけるこの光景
すっかり消えていたと思っていた絵本の記憶が溢れて来る様子
はるか昔に通り過ぎたと思われがちな幼少期は
実はマトリョシカのように内側にそっとしまいこまれていただけなのかもしれない

記憶は
本によって解凍される
だが実は更新するだけであればページを開かなくてもよい
背表紙をたまに目の隅に入れるだけでもよいのだ
一度読んだ本は不思議なもので
背表紙を見ればその温度を思い出せる
ストーリーを思い出すというわけではなく
何というかその本を読んだ時と同じ心の温度を味わえる
この「記憶の更新」こそが
家に本が必要な一つの意味なのではないか
と僕は勝手に思っている

本を読んだ時の心の温度
その中でも1番好きなのが切なさだ
キャンプファイヤーの終わりの空気のような
最高に幸せな時間に終わりが近づいている
あの心の温度
それを描く天才がスウェーデンの児童文学作家アストリッド・リンドグレーン
その代表作ピッピシリーズの中でも
「ピッピ南の島へ」は本当に心がきゅうっとする
ラストシーン
「おっきくならない生命の丸薬」を飲む3人
トミとアンニカの部屋から見えるごたごた荘の窓の灯り
そして
ロウソクをふっと吹き消すピッピ
暗転
白く細く立ち上がる煙
これ以上ないくらい切なくて美しいエンディング
ピッピが次に引き起こすごたごたをまだまだ楽しみにしていた幼少期の僕は
明日以降のピッピが見られないこのエンディングには納得が行かなかった
けれども生命の丸薬を飲み損ねて大人になった今
「ナルニア」のピーターやスーザンのように大きくなる彼らを見るくらいならば
やはりピッピもトミーもアンニカも
その年齢のままで本の中にとどまっている方がよい
本を開けば相変わらずあの3人は変わらない姿でいるのだ
とやっと思えるようになった
これが成長なのか退化なのかはわからないけれど
頭の中が無限大だった子どもの世界
せめてその記憶だけでも更新しようと
我が家の本棚には今もピッピが3冊並んでいる

この原稿を書き終える数日前
訳者の大塚勇三さんが亡くなった
ご冥福をお祈り致します
ありがとうございました

最高に愉快で
だからこそきゅうっと切ない
「ピッピ南の島へ」
フランソワ・バチスト氏がご紹介致しました

フランソワ・バチスト氏

Profile

冨樫 チト(とがし ちと)

冨樫 チト (とがし ちと)

本名である。フランス童話「みどりのゆび」のチト少年にちなんで両親から命名される。富士の裾野の大自然の中、植物画と読書と空想の幼少期を過ごす。
早稲田大学在学時よりプロダンサーとしての活動を開始。
舞台演出、振付け、インストラクター、バックダンサーなど、踊りに関わる全てに携わる傍ら、持ち前の遊び心で、空間演出、デザイナー、リゾートホテルのライブラリーの選書、壁画の製作、ライブペイントによる3Dトリックアートの製作など、無数のわらじを履く。
2015年2月、フランソワ・バチスト氏として、住まいのある吉祥寺に絵本児童書専門古書店、「MAIN TENT」をオープン。
氏の部屋をそのまま移動させた小さな絵本屋から、エンターテインメントを発信している。

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